教室では、自由制作に入って1か月が経ちました。TANSAKUでは、マニュアルに沿って学習するのではなく、それぞれが作りたいものを計画し、自分でプログラムを組み立て、自由に作ります。誰ひとりとして同じものを作っている子はいません。お互いが作ったゲームで遊ぶのもまた楽しみです。

教科書をなぞるように習わないからこそ伸びるなぁと、子どもたちを見ていて思います。作りたい(こうしたい)ものがあると、どうしたらいいか考え、調べ、実装します。もちろん最初からすべて上手くいくわけはありませんが、試行錯誤しながら自分が納得いくものに仕上げていきます。
実は、これは自分自身の経験からも感じていることです。私はプログラミングの基礎をしっかり丁寧に教わり、習得しました。ところが、いざ実習で「Webサイトを作ってください」と言われると困りました。教科書で学んだ知識は頭の中に確かにあるのに、しばらく手を動かせませんでした。基礎を積み上げることと、自分で何かを作り出すことの間には、思うよりずっと大きな距離があることに気づかされました。
教室の子どもたちはというと、基礎をみっちり教えたわけではなく、最初にちょっとブロックの使い方を教えただけ。それが今では、条件分岐を組み合わせたり、自分でルールを考えたゲームを作ったり、変数を使ったりして複雑なものを作れるようになっています。「こんなものを作ってみたい」という衝動が先にあって、そのために必要な技術を後から自分で取りにいく。子どもたちを見ていると、「学び」とは遊びの延長線上にあるのだとつくづく思います。子どもは好奇心のかたまりですから。

TANSAKUの卒業生で、今はメンターをしてくれている高校生がいます。彼は今、AIを活用しながらアプリ開発に夢中になっています。作っているのは、誰かに頼まれたものではなく、自分にとって必要な機能を盛り込んだ、自分のためのアプリです。彼を見ていて思うのは、いくら技能を習得しても、「好きなこと」「やりたいこと」が見つからなければ、あるいはアイデアが思いつかなければ、その能力は宙ぶらりんなままだということです。逆に、自分でやりたいことを見つけて動き出す行動力があれば、普段の勉強や受験のような大切な機会にも、きっと困らないのではないかと思います。

プログラミングは理数系のイメージを持たれがちですが、子どもたちが自由な発想でどんどん上達する姿を見ていると、理数と文系を分けて「自分はこっち」という思い込みは邪魔なもんだなぁと思います。
私は学生の頃、体育が苦手で「自分は運動に向いていない」と決めつけていましたが、子どもは幼いほどそういったフィルターがありません。「これはこういうものである」という思い込みは、たいてい確かめたものではなく、いつのまにか自分の中に擦り込まれたものです。もちろんフィルターが全くないと生きていくのに困るわけですが。
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